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特攻直前に敗戦を迎えた父


父は、16歳か17歳の頃、自ら志願して予科練(海軍飛行予科訓練生)に入隊しました。

親には、あまりかわいがられない、10人兄弟の3男だったので、兵隊に入って、お国のために華々しく死んでやろうと思ったのかもしれません。

甲種飛行予科練習生(甲飛)というらしいです。「俺は零戦の操縦が上手かったんだ」と、よく自慢していました。

破竹の勢いで進撃を続けていた日本軍も、敗戦色が濃厚となり、神風特別攻撃隊が組織されました。

多くは、まだ10代の少年兵が片道の燃料だけを積んで、米艦に突撃するという、とんでもない無謀な行為です。

なんと父は、その特攻隊にも進んで志願したというのです!!

ところが、尻込みしていた連中から、特攻隊に編成されてしまったらしいのです。

父の突撃のときは、なかなかやってきませんでした。

19歳の父が、いよいよ沖縄から特攻という直前、日本は無条件降伏しました。

先週、父の告別式がありました。久しぶりに会った叔母(つまり父の妹)の話によると、敗戦後自宅に戻ってきた父は、近所の河原で、毎日ぼーっと川面を眺めていたようです。

心配した私の祖父(つまり父の父)は、叔母(つまり父の妹)に向かって「勝(父の名前)が心配だから、お前、川へ行って見てこい」と言われたそうです。

敵艦に特攻するつもりで、昂揚していた気分が一気にしぼんでしまい、抜け殻になってしまったのか、おめおめと生き返った自分が、特攻隊で戦死した友人たちに申し訳なく思っていたのか、今ではわかりません。

父は、軍隊時代の苦労や自慢話はしたことがあっても、敗戦後河原で一日中ぼーっとしていたなんて、私や母には一言も話したことがありませんでした。

あの父に、ぼーっと河原を眺めていた青春時代があるなんて、とても以外でした。

家族には、絶対に言いたくないことなのか、それとも、記憶から完全に抹消してしまったのか、どんな気持ちで敗戦を迎えたのか、あと何年か何十年か後に天国の父と再会したら聞いてみたいと思います。

父にとって、敗戦は思い出したくないことかもしれませんが、軍隊生活は、決して地獄だったとは思えません。

よく父は、俺の青春時代なんて真っ暗だったよ、なんて言っていましたが、思い出したくないことではなかったようです。

軍隊時代を懐かしんで、予科練時代の友人たちとよく飲みに行っていました。

軍隊時代よりも、敗戦の方がショックだったんですね。

そんな父も、今頃は天国で、花と散った特攻隊の戦友達と再会を祝しているかもしれません。

「お前、ずいぶん年を取ったなあ。まるで俺のじいさんみたいじないか」なんて、10代の戦友にからかわれているもしれません。

凜々しかった19歳の父です。

予科練父19歳その2

予科練父19歳


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小林明


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